2021年12月18日に急逝した神田沙也加さん。
母・松田聖子さんと父・神田正輝さんが、神田沙也加さんの遺骨を持って会見に臨む姿はとても痛々しいものがありました。
しかし、神田沙也加さんと松田聖子さんは絶縁関係にあったと報道されています。
今回は、神田沙也加さんと松田聖子さんの不仲の理由について、時系列で調査していきたいと思います。
目次
- 1 【時系列】神田沙也加と松田聖子は絶縁関係!不仲の理由18選!
- 1.1 【理由①】「松田聖子の娘」のため沙也加は特殊な幼少期
- 1.2 【理由②】沙也加は祖母に育てられ聖子の愛情が不足
- 1.3 【理由③】聖子の度重なる不倫スクープ(1990年~1993年)
- 1.4 【理由④】沙也加10歳の時に聖子が離婚(1997年)
- 1.5 【理由⑤】聖子の離婚後の数々の恋愛スキャンダル(1998年~2012年)
- 1.6 【理由⑥】聖子が再婚、継父との渡米を沙也加が拒否(1998年)
- 1.7 【理由⑦】沙也加は「有名人の娘」のため壮絶ないじめに遭う
- 1.8 【理由⑧】沙也加、渡米するも継父との生活に嫌気がさす
- 1.9 【理由⑨】沙也加デビューも「松田聖子の娘」の重圧(2002年)
- 1.10 【理由⑩】沙也加のギタリストとの交際に聖子が猛反対(2005年)
- 1.11 【理由⑪】沙也加の突然の活動休止に聖子が激怒(2005年)
- 1.12 【理由⑫】沙也加の恋愛に聖子がことごとく反対(2006年)
- 1.13 【理由⑬】紅白歌合戦で共演も聖子の「嘘泣き」(2011年・2014年)
- 1.14 【理由⑭】沙也加の元夫・村田充との結婚を聖子が反対(2017年)
- 1.15 【理由⑮】聖子の事務所問題に沙也加が振り回される
- 1.16 【理由⑯】 沙也加を育てた祖母が聖子をサポート
- 1.17 【理由⑰】「財産相続問題」で確執
- 1.18 【理由⑱】沙也加の転落も聖子に容態は伝わらず(2021年)
- 2 まとめ
【時系列】神田沙也加と松田聖子は絶縁関係!不仲の理由18選!
絶縁関係だったという神田沙也加さんと松田聖子さん。
2人の間に一体何があったのでしょうか。
不仲の理由がこちらです。
- 「松田聖子の娘」のため沙也加は特殊な幼少期
- 沙也加は祖母に育てられ聖子の愛情が不足
- 聖子の度重なる不倫スクープ
- 沙也加10歳の時に聖子が離婚
- 聖子の離婚後の数々の恋愛スキャンダル
- 聖子が再婚、継父との渡米を沙也加が拒否
- 沙也加は「有名人の娘」のため壮絶ないじめに遭う
- 沙也加、渡米するも継父との生活に嫌気がさす
- 沙也加デビューも「松田聖子の娘」の重圧
- 沙也加のギタリストとの交際に聖子が猛反対
- 沙也加の突然の活動休止に聖子が激怒
- 沙也加の恋愛に聖子がことごとく反対
- 紅白歌合戦で共演も聖子の「嘘泣き」
- 沙也加の元夫・村田充との結婚を聖子が反対
- 聖子の事務所問題に沙也加が振り回される
- 沙也加を育てた祖母が聖子をサポート
- 「財産相続問題」で確執
- 沙也加の転落も聖子に容態は伝わらず
それでは順に見ていきましょう。
【理由①】「松田聖子の娘」のため沙也加は特殊な幼少期
神田沙也加さんは、1986年10月1日、松田聖子さんと神田正輝さんの間に産まれました。
当時トップアイドルだった松田聖子さんと二枚目俳優の神田正輝さんの電撃結婚は「聖輝の結婚」として大きな話題となりました。
2人の結婚式と披露宴の様子はテレビで生中継され、その平均視聴率は約35%にもなりました。
そんなビッグ・カップルの娘ということで、当然、神田沙也加さんは誕生からずっと世間の注目を浴びることとなります。
神田沙也加さんは、小学校に入学後も「松田聖子の娘」であるが故、特殊な状況下での生活でした。
・パパラッチから逃れるため「何をしたら違法か」などを勉強させられた
・林間学校には松田聖子のマネージャーが同行
・運動会に松田聖子が来る際は学校側が警備員を配置
・運動会の様子がテレビのワイドナショー取り上げられる
・松田聖子のコンサートチケットやサインを頼まれる
明らかに一般人の子供と違う状況に、神田沙也加さんは少なからずストレスを感じていたでしょう。
学校にマスコミが来たり警備員が配置されることに、神田沙也加さんは「自分のせい」と悩んだこともあるそうです。
同時に「母・松田聖子がアイドルのせい」とも思っていたかもしれませんね。
【理由②】沙也加は祖母に育てられ聖子の愛情が不足
神田沙也加さんを出産した後、母親の松田聖子さんは度々渡米するなど家にいることは少なかったようです。
代わりに神田沙也加さんを育てたのが、父親の神田正輝さんと祖母の蒲池一子さん(松田聖子さんの母親)だったといいます。
神田正輝さんも仕事で忙しかったため、一番母親代わりになっていたのが蒲池一子さんだったと言えます。
そのため、神田沙也加さんは松田聖子さんからの愛情が不足していたと考えられます。
蒲池一子さんがこちらです。
蒲池一子さんは松田聖子さんの芸能事務所「株式会社ファンティック」の会長を務めていました。
神田沙也加さんを厳しくも愛情をもって育てたということですが、神田沙也加さんが芸能界に入ることは反対だったようです。
「歌手になるのだけはやめなさい」――。沙也加さんが敬愛する祖母、一子さん(89)に幼い頃から言われてきた言葉だ。偉大すぎる母と比較され、つらい思いをしないようにという思いからだった。
引用元:Sponichi Annex
ご自身が芸能事務所に関わっていたので、なおさら芸能界の厳しさを知っていたのでしょう。
可愛い孫には辛い思いをさせたくなかったでしょうね。
【理由③】聖子の度重なる不倫スクープ(1990年~1993年)
神田沙也加さんが松田聖子さんに「嫌悪感」を抱いていたとしたら、その大きな理由の1つとなるのは「松田聖子さんの度重なる不倫報道」でしょう。
松田聖子さんが神田正輝さんと結婚後にあった不倫報道の相手がこちらです。
- 近藤真彦(アイドル歌手):1989年
- ジェフ・ニコルス(米国人タレント):1990年
- アラン・リード(米国人ダンサー):1993年
【不倫①】近藤真彦:1989年
1989年、松田聖子さんと近藤真彦さんがニューヨークのホテルで密会していたと、週刊誌にスクープされました。
当時松田聖子さんは神田正輝さんと婚姻中、近藤真彦さんは歌手の中森明菜さんと交際中でした。
この件があってか、中森明菜さんは1990年に近藤真彦さんの住むマンションで自殺を図るというショッキングな事件が起こりました。
その後、近藤真彦さんと中森明菜さんは交際7年で破局しました。
【不倫②】ジェフ・ニコルス:1990年
続いての不倫報道は1990年、相手は米国人タレントのジェフ・ニコルスさんです。
米国進出を果たした松田聖子さんが、英語を勉強するため先生として出会ったのがジェフ・ニコルスさんとのこと。
雑誌「フォーカス」が2人のお忍びデートや、ホテルでの3時間密会などを報じました。
不倫発覚から3年後の1993年、突如女性週刊誌に2人の「不倫キス写真」が掲載されます。
さらに、その年ジェフ・ニコルスさんが松田聖子さんとの愛の日々を綴った暴露本を出し話題になりました。
しかしその後、松田聖子さんに新恋人が発覚し、捨てられたジェフ・ニコルスさんは再び「壊れた愛」という本を出版しています。
【不倫③】アラン・リード:1993年
1993年、松田聖子さんの新恋人として報道されたのが、松田聖子さんのバックダンサーだったアラン・リードさんです。
しかし、この時はただの不倫報道では終わりませんでした。
(松田聖子は)聖子のバックダンサーであったアラン・リードに逆セクハラで訴えられたこともあった。
彼は『週刊現代』にて、聖子と過ごした5年間の日々を告白。2年間に渡ってアランが性的関係を拒み続けたことなど、実に刺激的な内容だ。引用元:exciteニュース
この訴訟は証拠不十分で却下されています。
松田聖子さんの数々の不倫報道。
当時の神田沙也加さんはまだ10歳に至りませんが、報道は後々にも残りますし神田沙也加さんの目にも間違いなく入ったでしょう。
母親の不倫に娘は何を感じていたでしょうか。
【理由④】沙也加10歳の時に聖子が離婚(1997年)
度重なる不倫報道の末、1997年1月に松田聖子さんと神田正輝さんは離婚しました。
ここまで見てきた松田聖子さんの不倫報道を見る限りでも、離婚は仕方がないでしょう。
芸能記者は、離婚前別居中の松田聖子さんと神田正輝さんが、久しぶりに会った時の様子を話しています。
「あれは聖子さんご夫妻が別居中のことです。神田正輝さんがハンドルを握り、聖子さん邸へ。今や遅しと待っていたのでしょう、真っ先に飛び出してきた沙也加さんは満面の笑みを浮かべていました。そして大好きなパパの胸に飛び込むと、『ママ、早く早く』と玄関を振り返りました。そこでようやく現れた聖子さんは仏頂面を隠そうともしないでいたのです」
やがて向かったのが都内の寿司店。
「久しぶりに両親が揃っての外食だったのか、沙也加さんは小さな手をパパの大きな手とつなぐと、もうひとつの手でママの手を握り、引っ張るようにして店内へ。はたから見ると、仲良し親子のようでしたけど、沙也加さんの姿が痛々しく、かわいそうでしたね」
引用元:日刊ゲンダイ
神田沙也加さんは当時10歳、両親の離婚はショックだったに違いありません。
【理由⑤】聖子の離婚後の数々の恋愛スキャンダル(1998年~2012年)
神田正輝さんとの離婚後も、松田聖子さんの恋愛スキャンダルは続きます。
それがこちらです。
- 歯科医 波多野浩之(1998年):2度目の結婚
⇒行きつけの歯医者の担当となったのがきっかけで出会い、交際2か月で電撃結婚。
- ミュージシャン 原田真二(2000年)
⇒歯科医との婚姻中に交際が発覚。松田聖子のライブにギタリストとして同行していた。
- 元整体師で個人事務所のチーフマネージャー 河田将道(2005年)
⇒整体師として担当する中で交際で発展。同居するうち松田聖子の住み込みマネージャーとなる。
- 大学准教授 河奈裕正(2012年):3度目の結婚
⇒出会った当初河奈は既婚者だったが2010年に離婚。松田聖子の猛アプローチで結婚に至る。不倫略奪結婚との噂も。
こうして見ると、松田聖子さんは「すぐに恋に落ち、欲しいものは何としても手に入れる」タイプと伺えますね。
神田沙也加さんは「ママのようにはなりたくない」と話していたといいます。
【理由⑥】聖子が再婚、継父との渡米を沙也加が拒否(1998年)
1998年、松田聖子さんは歯科医の波多野浩之さんと2度目の結婚をしました。
交際わずか2か月での電撃婚。
インタビューの際松田聖子さんが「心と体でビビビっときたんです」と言ったことから「ビビビ婚」という言葉が流行語になりました。
神田沙也加さんは小学校卒業後は中高一貫の私立高校に入学予定でした。
しかし松田聖子さんが仕事の関係でアメリカに拠点を移すことになり、神田沙也加さんは一緒に渡米するかの選択を迫られることとなります。
神田沙也加さんにしてみれば、松田聖子さんの再婚相手など他人と同じ。
継父と一緒の渡米を拒み、千葉県の全寮制の中学校に入学することになりました。
【理由⑦】沙也加は「有名人の娘」のため壮絶ないじめに遭う
日本での進学を決めた神田沙也加さんですが、待っていたのは「有名人の娘」が故の壮絶ないじめでした。
- 下着を盗まれて見世物にされる
- 布団を水浸しにされ眠れなくなる
寮での陰湿ないじめに耐え兼ね、神田沙也加さんは親戚の家から通学することになりました。
自宅に戻らなかったのは、松田聖子さんのスキャンダルが原因だったと言われています。
その後都内に転校するも、馴染めず不登校になることもあったそうで、結果的に神田沙也加さんは松田聖子さんの住むロサンゼルスに移ることにしたのです。
仕方なく渡米を決めた神田沙也加さん、本音はどうだったでしょうか。
【理由⑧】沙也加、渡米するも継父との生活に嫌気がさす
渡米した神田沙也加さんでしたが、松田聖子さんは仕事で忙しく家にいないことも多かったようです。
そうなると、まだ関係の浅い継父・波多野浩之さんと生活を共にする時間が長くなります。
実父・神田正輝さんを慕っていた神田沙也加さんには継父に心を開くのは難しかったでしょう。
英語も分からず周りにも馴染めず、そんな生活に耐えられなくなり神田沙也加さんは再び帰国し、日本の中学校に転校しました。
中学生時代に4度の転校を経験した神田沙也加さん、多感な時期にとても辛い思いをしたでしょう。
【理由⑨】沙也加デビューも「松田聖子の娘」の重圧(2002年)
無事中学校を卒業した神田沙也加さんは、2002年4月に千代田女学園高校に入学します。
そして2002年5月に、ソニー・ミュージックエンタテインメントから、SAYAKA名義で『ever since』で歌手デビューを果たしました。
松田聖子さんは、神田沙也加さんのデビューに最初は反対したそうです。
沙也加さんの芸能界入りを最初は反対したのも、芸能界の厳しさを知り尽くしているからこそ。2001年にデビューすると「やるとなったら、私が守っていかなくては」と話すなど母親の顔を見せていた。ただ芸能関係者は「聖子さんは成功者として娘を本気で守りたいがために、時には沙也加さんがやりたいことに反対もしてきた」と話す。
引用元:YAHOO!ニュース
神田沙也加さんは舞台やミュージカルをやる“実力派女優”を目指したかったそうです。
しかし「松田聖子さんの娘」ということで注目され、時にはバッシングを受け、重圧を感じていたようです。
そんな神田沙也加さんは、2004年に宮本亞門さんが演出したミュージカル「INTO THE WOODS」のオーディションで赤ずきん役を勝ち取ります。
当時について宮本亞門さんはこのように語っています。
「まだ無名な彼女は『私は有名人の娘だから受かったのですか?』と大きな目で食いつくように聞いてきた。『嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!』すると少し安心した顔をして『私、本物になりたいんです』と言った」
引用元:YAHOO!ニュース
ここからも、神田沙也加さんが「松田聖子さんの娘」というレッテルを断ち切りたいという強い意志が感じられます。
葛藤していたのでしょうね。
【理由⑩】沙也加のギタリストとの交際に聖子が猛反対(2005年)
2005年、神田沙也加さんはday outer tomorrowのギタリスト北野正人さんとの交際が発覚します。
北野正人さんが神田沙也加さんに楽曲提供したのが出会いのきっかけとのこと。
北野正人さんがこちらです。
しかし、出会った当初北野正人さんは既婚者でした。
その後北野正人さんの離婚が成立し、神田沙也加さんは「北野正人さんと結婚する」とまで言っていたそうですが、松田聖子さんは猛反対しました。
松田聖子さんの反対が原因で2人は破局したようです。
神田沙也加さんにしてみれば「ママは好き勝手やってるのになんで私は駄目なの?」となりますよね。
【理由⑪】沙也加の突然の活動休止に聖子が激怒(2005年)
ミュージカル出演でその緊張と喜びに魅せられた神田沙也加さんでしたが、2005年に突如活動休止します。
《ここできちんと自己形成をしないと何をやっても中途半端になる、先に進めない》と切実に感じるようになった。2005年、高校卒業を機に芸能活動を1年半休止したのは、そうした危機感からだった。自分を見つめ直すべく、研修旅行と称してニューヨークやロンドンへ舞台を観に行ったほか、ある店でアルバイトも始めた。
引用元:YAHOO!ニュース
実はこの時、神田沙也加さんは活動休止のことを松田聖子さんに報告していなかったといいます。
そのため松田聖子さんは激怒。
神田沙也加さんと松田聖子さんは大喧嘩をし、警察沙汰になるほどの騒ぎになったようです。
この件で間違いなく2人の溝は深くなったでしょう。
【理由⑫】沙也加の恋愛に聖子がことごとく反対(2006年)
2006年、神田沙也加さんは女優大地真央さんの後押しもあり芸能界に復帰します。
プライベートではギタリスト北野正人さんとの破局後も、舞台の共演者やミュージシャンと付き合っては別れ、というのを繰り返していたようです。
しかし、松田聖子さんはそんな神田沙也加さんの恋愛にことごとく反対したといいます。
松田聖子さんは「家柄や経歴を重視していた」という話もあります。
「親心」なのかもしれませんが、やはり神田沙也加さんは「私だけ何故?」と思ったでしょうね。
【理由⑬】紅白歌合戦で共演も聖子の「嘘泣き」(2011年・2014年)
神田沙也加さんと松田聖子さんは、NHK紅白歌合戦で2度の共演をしています。
【紅白共演①】2011年
1度目の共演は2011年で、母娘共演で坂本九さんの「上を向いて歩こう」を歌唱しました。
この時は、松田聖子さんが「娘と共演できたことに感動して涙した」と話題になりましたが、後日週刊誌で「あれは嘘泣きだった」と報じられました。
「お互いに気を使い、腫れ物を扱うようなギクシャクした関係が続いていました。紅白で聖子さんが泣いたのを見て多くのスタッフが呆れ返っていましたが、沙也加も『ママは嘘泣きをしていた』と話していた」
引用元:週刊文春
【紅白共演②】2014年
そして2度目の共演は2014年で、芸能記者は当時についてこのように話しています。
「この年、映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替え版でヒロインの声を担当し高い評価を得た沙也加さんは、紅白に出場し映画の曲を堂々と歌い上げました。前回は『聖子さんのおかげで出場できたのではないか』という声も少なくなかった沙也加さんですが、2度目は完全に独り立ちしたスターの佇まいでした。
これに誰より感動したのが聖子さんで、アメリカで事前収録した愛娘の歌唱シーンをスクリーンで見て涙を流し、主題歌を出場歌手たちが大合唱する場面で娘との共演が実現してまた涙と、人目も憚らず泣きじゃくっていました。」
引用元:YAHOO!ニュース
ところが、この時も松田聖子さんの涙について「嘘泣き」や「話題作り」と言われました。
このような声が上がってしまうくらい、2人の関係が良好ではなかったのかもしれません。
【理由⑭】沙也加の元夫・村田充との結婚を聖子が反対(2017年)
2017年、神田沙也加さんは俳優の村田充さんと結婚します。
交際のきっかけは2016年の舞台共演だったそうです。
父・神田正輝さんと村田充さんの仲は良好で、スリーショットでの写真も残っています。
しかし、松田聖子さんはこの結婚に猛反対したそうです。
神田沙也加さんはその反対を押し切った形になり、2人の関係はますます悪化したようです。
母聖子との確執は結婚披露パーティーに聖子を呼ばず、聖子は聖子で祝福コメントを出さなかったことで表面化。沙也加さんは幼少期のトラウマからか、ファザコンのように甘えさせてくれる年上夫と自分の城を構え、聖子からの完全独立をはかったのだろう。
引用元:YAHOO!ニュース
【理由⑮】聖子の事務所問題に沙也加が振り回される
松田聖子さんは1989年から個人事務所「株式会社ファンティック(Fantic)」に所属し、会長に蒲池一子さん(松田聖子さんの実母)、代表取締役社長に蒲池光久さん(松田聖子さんの実兄)とが就いていました。
神田沙也加さんも同じ事務所に所属していました。
しかし2014年、突如松田聖子さんはファンティックを辞め、新事務所を立ち上げました。
しかも、聖子さんが新しく所属する事務所は、“元恋人”と一緒に設立したというのです。
この“元恋人”というのは、2004年から交際を始め、マネジャーとして公私にわたって聖子を支え続けた11才年下のA氏。
聖子と出会った当時、A氏は整体治療院で整体師として働いていたが、一目惚れした聖子の独断によって、彼女の専属マネジャーに迎え入れられたのだった。
聖子は彼を、母と娘の沙也加と一緒に暮らす自宅にまで招き入れ、同居生活を送っていたこともある。
2012年6月、慶應大学病院の准教授で歯科医師のB氏と電撃結婚した聖子だが、彼女は、その後もA氏を“キープ”。
同居こそ解消したものの、彼を自宅近くのマンションに住まわせ、マネジャー業を続けさせていた。
引用元:NEWSポストセブン
結婚(3度目)後も違う男性をキープするという、ちょっと理解し難い状況ですが、神田沙也加さんはさすがに耐えられなかったようです。
「(神田沙也加は)今回の一件には堪忍袋の緒が切れたみたいで、聖子さんが移籍しても、自分だけは現在の事務所に残ることに決めたんです。“もうお母さんにはついていけない”なんて漏らしているみたいで…」(松田聖子の知人)
引用元:NEWSポストセブン
さらに、2017年には松田聖子さんからクレームが入り、神田沙也加さんはファンティックから追い出されたそうです。
これは村田充さんの結婚に反対した松田聖子さんの嫌がらせだったと言われています。
その後神田沙也加さんは「ファンティック」併設の新事務所「ローブ」に所属しています。
【理由⑯】 沙也加を育てた祖母が聖子をサポート
2014年の松田聖子さんの移籍問題について、松田聖子さんの母でありファンティック会長だった蒲池一子さんも落胆したようです。
蒲池一子さんは、松田聖子さんと元恋人マネージャーの関係に反対しており「最後の最後まであの娘はわかってくれなかった」と泣いていたといいます。
ところが、その蒲池一子さんが2018年にファンティックを退任し、松田聖子さんと仲直りしたとのこと。
「最後に、私があの子を守りたい。」
そう言って、蒲池一子さんは松田聖子さんのマネージャーのように海外にも同行したり、松田聖子さんのサポートをするようになりました。
神田沙也加さんにとって「母親代わりに育ててくれた」祖母が、決別状態にある松田聖子さん側についたことは大変ショックだったでしょう。
【理由⑰】「財産相続問題」で確執
松田聖子さんと神田沙也加さんの確執の理由の1つには「財産相続問題」もあったと言われます。
トップアイドルだった松田聖子さんには莫大な財産があるのです。
- 松田聖子はかつて身内しか信用せず、スタッフには久留米から呼び寄せた親戚や地元の関係者を置いていた。
- 築き上げてきた財産で次々と不動産を購入、母親や兄を名義に振り分けて財産を守ってきた。
- 成城の大豪邸や関連会社が拠点を置く不動産の総額は約10億円といわれる。
この財産を引き継ぐことになるのが、一人娘の神田沙也加さん。
松田聖子さんにしてみれば、神田沙也加さんの結婚相手というのは「自分の築き上げた財産を継ぐ」重要なポストにあるわけです。
そのため、今まで神田沙也加さんの恋愛に色々と口出ししてきたのですね。
しかし、結果的にそのことが母娘の確執を深めてしまったのです。
【理由⑱】沙也加の転落も聖子に容態は伝わらず(2021年)
2021年12月18日、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演中だった神田沙也加さんが、ホテルの一室から転落し死亡するというショッキングなニュースが飛び込んできました。
この時、松田聖子さんはクリスマスディナーショーの最終公演中でした。
しかし、ディナーショー中にこのニュースは松田聖子さんの耳には入っていなかったと思われます。
神田沙也加さんと松田聖子さんは弁護士を通すことで初めて話し合いができるような関係だったので、訃報の遅れがあったと考えられるとのこと。
娘の訃報がすぐに母親に伝わらないというところでも、2人の確執の大きさが分かりますね。
しかし、どんなにヒビが入ろうと親子は親子です。
松田聖子さんも、最後には関係を修復したいと思っていたかもしれません。
だとすると、これはあまりにも悲しい最後でした。
https://twitter.com/0120330996s/status/1477570955837063172?s=20
娘の死は悲しくて仕方がない、そして娘を愛していたことも真実に違いないでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は神田沙也加さんと松田聖子さんが絶縁関係にあったということで、不仲の理由について調査しました。
本当に色々な事がありましたが、ハッピーエンドにならなかったのが残念でなりませんね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。