2022年2月に北京で開催される冬季オリンピックで五輪3連覇を目指す羽生結弦さん。
プーさん好きでも有名な羽生結弦さんですが、家族の話はあまり聞きません。
そこで今回は羽生結弦さんの家族構成について調べてみました。
父親は教師で母親、姉、祖父母についても調査してみます!
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目次
【画像】羽生結弦の家族構成!
羽生結弦さんの家族構成はコチラ。
父・羽生秀利
母・羽生由美
姉(長女)・羽生さや
長男・羽生結弦
では1人ずつ詳しくみていきましょう。
羽生結弦の父・羽生秀利は教師
羽生結弦さんの父・羽生秀利(はにゅう ひでとし)さん。
職業は公立中学校の教師です。
2021年4月からは塩釜市立第三中学校から転任され、利府町立利府西中学校の校長先生を務めています。
それ以前の経歴はコチラです。
- ~2014年3月 石巻市立湊中学校(教頭)
- 2014年4月~2016年3月 利府町立しらかし台中学校(教頭)
- 2016年4月~2021年3月 塩釜市立第三中学校(校長)
- 2021年4月~ 利府町立利府西中学校(校長)
教員時代は数学や技術家庭科を教え、野球部の顧問として生徒さんを指導していたようです。
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羽生結弦の母・羽生由美はスーパーに勤務
羽生結弦さんのお母さんのお名前は、羽生由美(はにゅう ゆみ)さんです。
出身は宮城県仙台市です。
職業は「スーパーでパート勤務」や「専業主婦」とあったので、正社員としてフルタイムでのお仕事はしていないようです。
笑った目元が羽生結弦さんソックリですね。
羽生結弦の姉・羽生さや(沙耶?)もフィギュアスケートをしていた!
羽生結弦さんのお姉さんの名前は、羽生さや(はにゅう さや)さんといいます。
漢字では「沙耶」さん表記だと思われます。
1990年生まれで、2022年1月現在で31歳(早生まれなら30歳)となるので羽生結弦さんの4つ年上です。
羽生結弦さんがフィギュアスケートを始めたのはお姉さんの影響で、姉のさやさんも10年間フィギュアスケートをしていたそうです。
職業を調べると、2015年時点では仙台市の「アイスリンク仙台」に勤めていることが分かりました。
両親と姉の4人家族で、父は中学校の教頭として勤め、母は専業主婦、4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。
引用:週刊現代(2015年1月)
現在も勤めているかどうかは不明です。
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【調査】羽生結弦の祖父母は?
2015年1月、週刊現代に「天才・羽生結弦を育てた『羽生家の家訓』」という記事が掲載されました。
記事には羽生結弦さんの母方の祖母がインタビューに答えていました。
母方の祖父母宅は宮城県仙台市内にあるようです。
—羽生家には「家訓」のようなものはあるんでしょうか。
ゆづを育てたのは、両親ですから、私たちは話す立場にありません。私たち祖父母がいろいろと話したような記事が出てしまったら、恥ずかしくて生きていけませんよ。
引用:週刊現代
また、2016年には母方の祖父が女性自身の取材に答えた記事もありました。
例年、羽生一家はこの母方の祖父宅で正月を過ごしてきたという。昼下がり、自宅前で祖父に話を聞いた。「取材は受けられない」と言いながらも、孫の活躍について聞くと嬉しそうな表情を見せた。
――羽生選手は、こちらで迎えるお正月を楽しみにしているそうですが?
「ゆづは、大晦日の『紅白歌合戦』に審査員ですからね。元日は、こっちには来られないでしょう」
父方の祖父母については特に情報がありませんでしたが、母方の祖父母さんと同じような関係を築かれているのではないでしょうか。
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【羽生結弦】羽生家の感動エピソード
なかなか表舞台に名前が出てこない羽生家のみなさんですが、羽生結弦さんとご家族のエピソードをいくつかご紹介します。
- 表に出ない両親
- 衣装は母の手作りだった
- フィギュアスケートのきっかけは「喘息」
エピソードを知る中で、羽生結弦さんが愛情いっぱいのなかでフィギュアスケートに打ち込めたことが伝わってきます。
【エピソード①】表に出ない両親
冬季オリンピックで2連覇するなど「絶対王者」として氷上で闘いながらも、インタビューでは謙虚な姿を見せる羽生結弦さん。
日本で知らない人はいない羽生結弦さんですが、そのご家族の情報や姿はほとんど見ません。
「結弦の両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えからなんです。五輪で金メダルを獲得しても『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていましたね。控え目で多くを語らない、お二人とも、まさに東北人の気質を持った両親です」
引用:週刊現代
「頑張っているのは息子本人であって、親は関係ない」という考えだからこそ、静かに息子の活躍を応援しているのでしょうね。
【エピソード②】衣装は母の手作りだった
華やかなフィギュアスケートの演技のなかで、目を惹くものの1つが衣装です。
実は、羽生結弦さんの衣装は2012年ごろまでお母様の手作りだったようなのです。
「フィギュアは、靴や衣装、リンク代など、ものすごくおカネがかかるスポーツです。家族の協力なしにはできません。羽生家は父親が公務員で貧しくはないけど、カネ持ちというわけでもない。家賃5万円でつつましく暮らしていました。節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです」(前出の友人)
引用:週刊現代
確かにスポーツを続けていくのにはお金がかかります。
羽生結弦さんはお母様の愛情と応援が詰まった衣装を身にまとって演技することで、なおさら力を得ていたのかもしれませんね。
【エピソード③】フィギュアスケートのきっかけは「喘息」
羽生結弦さんは幼少期、ぜんそくを患い、夜も眠れないほど咳き込むことがあったそうです。
そんななか、4歳のときに姉のフィギュアスケート練習を見に行ったことがきっかけで、羽生結弦さんもフィギュアスケートをはじめました。
ただ、大きな目的は「ぜんそくを克服する」ことでした。
「お母さんは結弦の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えていた。ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、結弦にピッタリのスポーツでした」(前出の友人)
引用:週刊現代
羽生結弦さんの父・秀利さんは自身が野球部の顧問をしていたこともあり、息子に野球をやらせたいと考えていたようでした。
羽生結弦さんは学校3~4年生の頃に、フィギュアスケートが少し嫌になった時期がありました。
そのときお父様は「野球の方がお金もかからないし、嫌ならスケートを辞めても良い」と言ったそうです。
羽生結弦さんが出した答えは「フィギュアスケートを続ける」でした。
お父様はその答えに対して無理強いすることなく、「もっと頑張れ」「もっと練習しろ」でもなく、息子を見守るというスタンスを選んだそうです。
息子の自主性を大切にしてくれる、素敵なお父様ということが伝わってきますね。
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まとめ
いかがでしたか。
華々しく活躍する羽生結弦さんを陰ながら応援しているご家族。
北京五輪でも羽生結弦さんの活躍と素晴らしい演技が楽しみですね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。