秋篠宮ご夫妻の長女眞子さんのご結婚の挨拶の際に、眞子さんを強く抱きしめられた上皇后美智子さま。
初孫である眞子さまのご結婚には、深い思いがあったのでしょう。
そんな美智子さまですが、皇后になられた雅子さまとは不仲・確執が噂されていますね。
今回は美智子様の意地悪ばあさんぶりといじめのヤバい理由について紹介いたします。
目次
【衝撃】美智子さまは意地悪ばあさん!雅子さまへのいじめは本当?
美智子さまは優しいおばあさんと思っている方は多いのではないでしょうか。
しかし、ネット上には「意地悪ばあさん」という声が多くみられるのです。
「美智子様」で検索すると「意地悪婆さん」と出てきて初めて雅子様へのいじめについて知った。
— ドロシー (@asamirodriguez) September 28, 2021
雅子さまがご結婚後「適応障害」を発症されたときの美智子さまの発言から「意地悪」と思われた方もいるようです。
雅子さまを男子産め産めとバッシングして追い詰め、雅子さまが適応障害と診断されたら、上皇夫妻も秋篠宮夫妻も、雅子さまに非常に冷たく、病気になるなんて弱い!と公の場で批判していましたよね。
親の因果が子に来たのかもね。— Mimichifuchi (@mimichifuchi) October 1, 2021
また、2019年令和に変わったことで、ネット上では今後の雅子さまの活躍に期待する声が多くあがってきました。
昨晩の上皇后様の結婚後のドラマ見ていてたら雅子さまも意地悪たくさんされたんだろうなあ。雅子さまの心労が少なくなるといいなあ。
— SUPER YUKO (@0509kimi) May 1, 2019
ネット上で言われている意地悪ばあさんぶりを見てみましょう。
美智子様の意地悪ばあさんぶり 4選
①人格否定
②海外訪問だめ・友だちと会うのもだめ・晩餐会もだめ
③世継ぎとなる男児を産め
④引っ越し手伝い拒否 退位後も皇居に
では、それぞれ見ていきましょう。
意地悪①人格否定
2004年皇太子殿下は欧州歴訪前に異例となる記者会見を開き、皇室による雅子さまに対する人格否定があることを発表されました。
雅子さまは、海外育ちであり外務省でのキャリアを積まれていました。
国際親善が皇太子妃として大切な公務であると考え息込んでいたようですが、これまでのキャリアや雅子さまの考えが否定されていたようです。
この人格否定発言について、皇室で起きたこととされ、細かくは述べられませんでしたが、美智子さまの意地悪な発言や行動があったようです。
ご結婚された時から、美智子さまと雅子さまの関係は良くなかったようで、公務スケジュールの組み方も意地悪だと報道されました。
この会見で皇太子も国民から非難されましたが、実の母親の意地悪な行動に耐えかねて異例の記者会見といった形をとったと考えられます。
意地悪②外国訪問だめ・友達と会うのもだめ・晩餐会もだめ
子作りが優先となり、外国訪問も友達と会うことも晩餐会に出ることも制限されることとなりました。
この状況に海外メディアでも「鳥籠の中のプリンセス」と表現し、批判的な報道をしていました。
これには、雅子さまのキャリアを封じ込めることや、雅子さまの交友関係、美貌に対しての女性の嫉妬が隠れているようです。
「超マルチリンガル」とも言われており、フランス語や英語をお話できるようですが、そのような機会も奪われてしまいました。
雅子さまが平成のほとんどを美智子さまによって閉じ込められた鳥籠から解放されて、これからの皇室外交で語学力をより発揮して向上されることを願っています。
— lotus heart (@lotus_heart) June 28, 2019
このようにネット上では、令和に変わったことで雅子さまの活躍に期待する声があげられています。
意地悪③世継ぎとなる男児を産め
結婚後、雅子さまは自分のキャリアを生かして公務に励もうとしていました。
しかし、雅子さまの個性を封じ込められ、「お世継ぎ」を最優先にするために、あらゆる公務への参加が閉ざされ、毎月のように天皇と皇后に呼び出され、生理の確認もあったようです。
2001年に愛子さまがお生まれになりましたが、これまた男児ではないことから、この意地悪な行為は続いていきました。
2006年秋篠宮ご夫妻の間に悠仁さまが誕生され、皇族に41年ぶりに男児が生まれたと嬉しいニュースがありましたが、雅子さまに対する思惑があるのかと思ってしまいますね。。
雅子様の長かった療養生活も、宮内庁などを始めとした、日本の男尊女卑社会の影響が大きいと思うなぁ…。「女の子なんか世継ぎにできない。法律まで変えなきゃいけないかもしれないし、余計な時間をかけさせて…」なんて四面楚歌な状態で言われたら、そら気を病むよ。
— やすし @ SwitchとPS5の二刀流 (@subcul834) December 8, 2014
現代では、女性のキャリアやキャリアと家庭の両立・不妊治療・高齢出産などだんだんと世の中に広まってきて、それを発言する方がおかしいと思われるようになってきました。
雅子さまの報道を通じて、世の中が変わるきっかけになったのかもしれません。
意地悪④引っ越し手伝い拒否 退位後も皇居に
2019年5月令和の天皇皇后陛下へ移行しましたが、引っ越し作業は延期が続き、2020年3月末に完了しました。
この延期の状態について、職員も困り果てていたことから、雅子さまより美智子さまへ引っ越しの手伝いを申し出ますが、「こんなことに皇后陛下の手を煩わせるわけにはいかない」と強い語調で述べられました。
雅子さまは仕方なくその間赤坂御所から日々通うこととなりました。
美智子さまのご年齢は85歳であったことと、私物が120トンあったことから、大変だったでしょう。
しかし、たくさんの職員が在籍しているため、公務などの調整によって進めることはできたはずです。
そのため、雅子さまに対する敵対意識「皇后の座を譲らない!」という意思が伝わってきますね。
美智子さま 雅子さまをいじめていたヤバい理由
美智子さまは若い頃、国民の憧れの存在でした。
現在でも多くの若者は美智子さまに対し、「優しいおばあさん」という印象が強く、雅子さまの心の病とは関係ないと思われている方が多いと思います。
女優のように綺麗で、国民からの注目を浴びていましたし、努力を積んでこられたからこそ、自分に注目が集まらなくなることに危機感を感じ、意地悪なことをしていた可能性がありますね。
また、“古き良き女性であるべきだ”という考えが強いからこそ、家庭につくことを優先させるように仕向けていっていたのかもしれません。
美智子さま プロフィール
旧名:正田 美智子 (しょうだ みちこ)
生年月日:1934年10月20日
出身地:東京都
美智子さまは、日本製粉グループ会長である正田英三郎と妻・富美との間に長女として誕生しました。
聖心女子学院大学を主席で卒業されましたが、学業だけでなくテニスにも熱中され、関東学生ランキング4位に入るほどの実力があったようです。
皇太子さまとの出会いもテニスがきっかけとなります。
テニスで親交を深め、1958年皇太子・明仁親王とご結婚されました。
美智子さまの美しさが国民の憧れとなり、美智子さまのファッションを真似する人が続出し、「ミッチー・ブーム」と呼ばれる社会現象が起きました。
美智子さまは結婚前にも反発があり、結婚後も内部で強い反発があったようで、心身疲労で静養されることもありました。
目立つ方だからこそ、このようにインターネット上では意地悪と捉えられるようなコメントが急増しています。
そんな中でも長年、国内・海外での公務を気丈に振る舞っていた美智子さまですが、やはり年齢とともに心身疲労が目立ってきています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、美智子様の意地悪ばあさんぶりと、いじめていたヤバい理由についてご紹介しました。
嫁姑問題が世間一般的にあるように、もしかししたら美智子さまと雅子さまの間にもそのような時期もあったのかもしれません。
しかし、現在のお二人の関係性は良くなっているようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。