プロ野球・日本ハムファイターズ新監督【BIGBOSS】として世間を騒がせている元メジャーリーガーの新庄剛志さん。
独特なセンスを持つ新庄さんですが、自身のお姉さんが難病を患っているということをテレビで公表しました。
公表した症状から、実際の病名はALSと呼ばれる病気なのでは?との噂が。
さっそく調べてみました。
目次
【画像】新庄剛志2歳上の姉・真由美さんプロフィール
名前:新庄真由美(しんじょう まゆみ)
生年月日:1969-1970年生まれ
出身地:福岡県
この写真は2011年、お父様である英敏さんのご葬儀の時の写真です。
剛志さん同様鼻筋の通った端正な顔立ちですね。
新庄剛志さんと真由美さんは2人姉弟です。
造園業を営んでいた父・英敏さんと文子さんのもとに生まれ、2人が小さい頃は金銭的に生活に苦労していたようです。
夕ご飯はゆで卵2つだったり、1人前のラーメンを姉弟2人で分け合って食べていた なんてエピソードも。
そんな家庭で育った真由美さんですが、いくつかの逸話がありました。
それがこちら。
- 家で勉強せずとも100点
- 弟のアイスを横取り?
気になるものばかりです。
順番に見ていきましょう。
【真由美さん】逸話①家で勉強せずとも100点
姉の真由美さんはスポーツ万能・成績優秀で、高校時代も偏差値76の学校に通っていたと言われています。
剛志さんは姉が家で勉強しているところを見たことがないことから
「なんで勉強していないのに100点ばかり取るの?」と聞いたところ、
「そんなもん、先生の言ったこと聞いてたら分かるやろ」と一言。
学校の授業に全集中で、家には持ち帰らないスタンスだったようです。
頭では分かっていても誰もができることではないので、それが可能だという天性の頭の良さを持ち合わせているのは確実ですね。
【真由美さん】逸話②弟のアイスを横取り?
先述したように、貧しかった子供時代のエピソードです。
3ヵ月に一度ソフトクリームを買ってもらえる日があった。
あるとき真由美さんがよそ見をして、地面に自分のソフトクリームを落とす。
泣いていた姉を見かねて剛志さんが『半分こ』のつもりでアイスを差し出すと、剛志さんが目を離したすきに真由美さんが全部食べてしまった。
子供時代なら特に完全にトラウマになる案件です。
実際に剛志さんも、『こんな人間にはなりたくない』と決意したんだとか。
本人たちはいたって真剣ですが、はたから見るととても姉弟らしい、微笑ましいエピソードですね。
【新庄真由美さん】現在は闘病中…難病ALS?テレビで告白
真由美さんは重い病気ということだけで、どんな症状などがあるかは公にはしていませんでした。
そんな中、仲良し?姉弟の姉・真由美さんが、現在は難病を患い闘病中だと剛志さんがTV番組で公表しました。
その発言の中には、真由美さんの症状についても含まれていました。
新庄剛志がTV番組で公表したときの様子
2020年4月フジテレビ系『直撃!シンソウ坂上SP』への出演時の様子です。
剛志さん本人はいつもの笑顔で淡々とお話しされていましたが、真由美さんの症状自体は軽いものではなく、難病ということもあって完治は難しい病気なのでは?と推測されます。
このように、その重い病はALSでは?との噂が飛び交っていますね。
これについては、公表した症状からそうなのではないかと言われたようなんです。
その、症状を見てみましょう。
【真由美さんの難病】公表した3つの症状とは?
番組で剛志さんが語った真由美さんの症状とは…
- 動くと筋肉がぎゅーっと硬直する
- 肌が黒くなる
- 体の自由が利かず、数メートル先にも移動できない
この3つを病気の説明として挙げていました。
上記の症状・特に【筋肉が硬直する】という症状から、国指定の難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)なのではないか?という推測が飛び交いました。
ただ、ALSは『肌が黒くなる』といった症状はあまり見られないため、別の病気である可能性もゼロではないようです。
あくまでも、ALSに近い難病なんですね。
【解説】国指定難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは?
可能性として挙がっている病気の説明がこちら。
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。
難病情報センターHPより
初期症状も人によって差があるようですね。
ニャンちゅうの声優・津久井教生さんが、自身が患っている病気として公表したことでも知られている病気です。
現在は治療法が確立しておらず、発症から3‐5年ほどで呼吸器の筋肉が衰え、人工呼吸器装着の有無を決定する必要が出てくる難しい病気ですが、症状の進行に関しては個人差も大きいようです。
【感動エピ】新庄剛志2度の現役復帰を経験!「父への想い」や「姉を励ますため」
素敵な家族愛を感じさせるエピソードがありました。
それがこちら。
- 1度目の復帰…危篤の父にもう一度野球姿を見せたい?
- 2度目の復帰…難病の姉を励ますため
順番に見ていきましょう。
【1度目の復帰】危篤の父にもう一度野球姿を見せたい?
こちらが新庄姉弟の父・英敏さんです。
剛志さんは1995年に1度目の電撃引退宣言をしました。
2001年に英敏さんが雑誌インタビューに答えています。
「“庭師になる”なんて言って、何も考えずに引退を表明したわけですから。あの時は、家内が“お父さんが危篤だ”と伝え、剛志は“僕のせいでオヤジの具合が悪くなった。もう一度、野球をしている姿を見せたい”と引退を撤回して、涙の会見で阪神に残留したんです」
週刊ポスト2001年2月9日号掲載より
のちに英敏さんは仮病だったことが分かりましたが、自分のせいで…と思い詰めてしまった剛志さんの家族思いな部分がうかがえます。
父の『モノを大切にする精神』を受け継ぐ
父・英敏さんを大切に思う気持ちが分かるエピソードも。
2011年にがんで亡くなられた英敏さんは生前、造園業のため毎日ハサミの手入れをしていました。それを見ていた剛志さんもモノを大切にすることを心がけていたようです。
そのため剛志さんは、阪神タイガース入団1年目で購入した7500円のグローブを引退するまでの17年間使い続けたとか。
尊敬する父の教えを守る誠実な人ですね。
【2度目の復帰】難病の姉を励ますため
続いて2度目は2019年。
選手引退から実に13年ぶりに現役復帰宣言をしたのです。
この裏には、闘病中の真由美さんを励ます意味合いもあったとか。
1%の可能性があれば必ずできる。今日からトレーニングを始めて、もう1回プロ野球選手になろうと思います
新庄剛志公式Instagramより
47歳での現役復帰宣言(トライアウトを受けたこと)は、日本中が驚きました。
残念ながら球団からのオファーがなく、断念という形になったものの、お姉さんへの思いが感じられる出来事となりました。
まとめ
いかがでしたか?
プロ野球選手界で有名になること自体が、並大抵の努力では叶わないはず。
そんな厳しい世界で家族のために努力を惜しまない強い意志を持った新庄さん。
お姉さんを支えながら、新監督として新しい風を吹かせてほしいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。