パリオリンピックでバレーボール日本代表として活躍した高橋藍選手。
はっきりとした顔立ちで、ハーフなのでは?とのうわさもあります。
今回はそんな高橋選手についてみていきましょう。
高橋藍はハーフではなく4ヵ国のクォーターだった!父母国籍は?
引用元:Youtube
高橋選手はハーフではなく、クォーターとの情報がありました。
実際はどうなのでしょうか。
また、父母や兄弟についてもまとめました。
髙橋藍の家族構成は?
引用元:X
父親:高橋 政次(たかはし まさつぐ)
母親:高橋 小百合(たかはし さゆり)
兄:高橋 塁(たかはし るい)
本人:高橋 藍(たかはし らん)
妹:高橋 莉々(たかはし りり)
3人兄弟の真ん中なんですね。
髙橋藍の父母の国籍は?
ここでは、両親の国籍についてみていきましょう。
クォーターということですが、どこの国の血筋なのでしょうか。
髙橋藍の父親は?
高橋 政次(たかはし まさつぐ)さん
1972年生まれ(2024年で52歳)
かつて野球に打ち込み、高校時代はエースで4番。
巨人スカウトが見に来るほど有望株でした。
父親の政次さんは日本人で、国籍も日本です。
髙橋藍の母親は?
高橋 小百合(たかはし さゆり)さん
1974年生まれ(2024年で50歳)
高校時代はソフトテニスで近畿大会に出場した経歴があります。
国籍はアメリカとなっています。
以下で詳しくみていきましょう。
髙橋藍ハーフではなくクォーターだった!
ドイツ人とイギリス人の両親がアメリカで出産したので国籍アメリカとの事です。
英国・ドイツの血も入っていると長男塁さんがポストしています。
日本とアメリカですね笑
イギリスとドイツの血も入ってるらしいです笑 pic.twitter.com/OepEyJAZjb— 髙橋 塁(Takahashi Rui) (@rui_takahashi_) November 28, 2017
なんだか複雑な血筋であることがわかりました。
西洋系のはっきりとした顔立ちはこの血筋からだったのではないでしょうか。
髙橋藍と兄弟の名前の由来は?
名前は父親が命名しました。
子供の名前には長男には、一塁の”塁”、次男にはホームランの”藍(ラン)”を命名したそうです。
長女には、リリーフから莉々(りり)を命名とのことでした。
「それに、(母の父はアメリカ人で)欧米の血も入っているので、海外の人にも親しみやすい名前がいいかなと思って」
引用元:Nunber web
元野球選手の父親らしい名前の付け方だなとおもいました。
高橋藍3兄弟全てバレー経歴も!
引用元:インスタグラム
高橋選手の兄弟もバレーボールをやっているそうです。
では、高橋選手の兄弟について見ていきましょう。
高橋藍 兄について
引用元:X
名前:高橋 塁(たかはし るい)
生年月日:2000年1月14日生まれ(2024年8月現在:24歳)
出身地 :京都府
身長 :186センチ
体重 :80キロ
血液型 :A型
東山高校を卒業後、日本大学に進学しました。
大学卒業後はサントリーサンバーズでバレーボールを続けています。
高橋藍 妹について
引用元:awaydays blog
名前:高橋 莉々(たかはし りり)
生年月日:2005年1月24日生まれ(2024年8月現在:19歳)
出身地 :京都府
身長 :非公開
体重 :非公開
血液型 :非公開
京都両洋高校卒業後、看護の学校に進学しています。
莉々さんも、高校時代までバレーボール一筋で兄弟揃ってのエリート選手でした。
さすが、3兄弟ともにすごい才能をもっているんですね。
高橋藍のプロフィールと経歴
引用元:朝日新聞デジタル
名前:高橋 藍(たかはし らん)
生年月日:2001年9月2日生まれ(2024年8月現在:22歳)
出身地 :京都府
身長 :188センチ
体重 :83キロ
血液型 :O型
東山高校卒業後、日本体育大学に進学しました。
バレーボールの強豪、イタリアのパドヴァに留学、その後、イタリアのモンツァで活躍しました。
現在はサントリーサンバーズに兄の塁さんとともに所属し、パリオリンピックでは、選手として活躍しています。
髙橋藍 略歴は?
では高橋選手個人の経歴を確認していきましょう。
幼少時代
*画像右
最初から、見たものをすぐにコピーできるという感じでした。
と兄の塁さんが語るほどの才能があったようです。
小学校時代
引用元:インスタグラム
バレーボールを始めたきっかけは小学1年生の時、兄の塁選手が3年生の時、テレビで観た女子バレーボールの栗原恵に憧れ、「京都ヤングバレーボールクラブ」その練習についていくうちに、藍もチームに入ることになりました。
藍は最初バレーに興味がなかったが、当時監督だった片岡聡が熱心に誘ったそうです。
中学時代
引用元:インスタグラム
日本代表やオリンピックに憧れを抱くようになり、中学では自らの意志でバレー部選びました。
高校時代
引用元:スポーツファンネット
バレーボールの強豪、東山高校へ進学しました。
1年生でレギュラーを勝ち取り、エースだった兄の塁選手とアウトサイドの対角を組み、活躍しました。
https://twitter.com/koujirouMunesan/status/1216243499231694849
高校最後の大会である2020年1月の春高バレーで、高橋選手は主将をつとめ、エースとして、東山高を悲願の初優勝に導きました。
大学時代
引用元:インスタグラム
こちらは日本大学での高橋選手です。
大学でもバレーボールで活躍していました。
東京五輪(2021) 大学2年時
19歳で出場した2021年の東京五輪を終えた時、高橋の中では、五輪の舞台に立つことができた満足感よりも、「もっと自分に経験があれば、日本はメダルに届いたんじゃないか」という悔しさが上回った。
イタリアーセリエAのパドヴァ時代(大学2年時)
引用元:バレーボールマガジン
東京オリンピックでのくやしさを胸にバレーボールの強豪国のイタリアに留学しました。
しかし、あまり試合に出場できなかったようです。
引用元:X
そして、次の年には、大学の試合には出場せず、セリエAの開幕からフル参戦しました。
ポジション争いに勝利して開幕スタメンをつかみ、シーズンを通して主力として試合に出ました。
大学卒業 サントリー入団会見(2024年5月)
引用元:月バレ.com
大学卒業後は兄の塁さんと同じサントリーに入団しました。
パリ五輪2024
2024年のパリオリンピックでは、キャプテンの石川祐希選手とともに日本の主力となり戦いました。
イタリアでの努力が生かされた試合になったと思います。
まとめ
今回は『高橋藍はハーフではなく4ヵ国のクォーターだった!父母国籍や3兄弟全てバレー経歴も』
という内容でまとめてきました。
オリンピックで大活躍だった高橋選手はクォーターということがわかりました。
まだ、若いので4年後のロサンゼルスオリンピックでも活躍してくれるのではないでしょうか。
今後の高橋選手の活躍に期待していきましょう。